作り声、装った話し方・・・違和感を育てよ。

作り笑顔に作り声、装った話し方

某話し方講師や、某営業マン、
話しが上手だという立ち位置の方で、

作り笑顔に、作り声、
うわべのきれいな調子の話し方、に触れると、
個人的には、違和感しか感じない。
(全員がそうではないです、一部の方ね)


どうしてこの方のところに行くひとがいるのだろう?と不思議に思うけれど、
やはり、そのきれいな声、きれいな話し方に惹かれるのかな。


その個性を殺した、
ただただ楽器をきれいに鳴らそうとする、
見かけだけの声を出すことに、


正直、 私は違和感しか感じない。


個性や、
人柄や、
人間味や、
そのひとの持ち味を殺してしまう。


そんな作った自分に皆なりたいのだろうか?と、
かつては疑問を感じていたのだけれど、

今は、違うことに気付いた。

違和感を感じるチカラがない

違和感を感じるチカラがない。

これが、今感じる、一番大きな気付きである。


違和感を感じるチカラ、というのは、
本来あるべき姿を捉え、
現実を照らし合わせて感じる不一致感のことだ。


あれ?なんかおかしいぞ?


この違和感は、
生きる上でも重要な力だ。


あれ?この人なんか嫌だ。

あれ?なんかこれ、味がおかしくない?

あれ?なんか私・・・今、変。
疲れているのかな。


こういった、
あらゆるものに対する違和感は、
危機感にも繋がれば、
自分の世界観を創ることにも大きく役立つ。


言葉にできない違和感は、人間の特権だ。


本能、直感、感覚。
人間らしい、大切なものなのだけれど、
この違和感、感覚が鈍ってしまっていることが多い。

違和感を見過ごす

あれ?と思っても、
それをキャッチすることなく、
気のせいか、とすぐに思考が打ち消してしまう。

違和感を違和感として捉えることができない。


ジャンキーなものばかり食べていたら
微妙で繊細な味の違いには気付けないし、

がちゃがちゃした環境で生活していると、
小さな音に耳を傾けることはない。

感情を雑に扱っていると、
違和感は、すぐに日常の砂に埋もれてしまう。


違和感は、
日常の中で、
何度も何度もお知らせを出してくれている。

そっちじゃないよ。
そのひとはやめときな。
あなたがしたいのはこっちでしょ。


時に危機警告を、時にアドバイスを、
時に導きを、


何度も何度も伝えてくれている。


がしかし!

それをキャッチする力がなく、
砂に埋もれさせ見過ごしているひとがなんと多いことか。

違和感キャッチができない理由

ではなぜ、違和感をキャッチすることができないのか?

それは、
先ほど述べたように、
ジャンキーな生活をしているのが大きな理由のひとつであろう。


ジャンキーとは、
マックばかり食べてる、という話ではない。
(余談:時々妙に食べたくなります)


ジャンキーな情報、
ジャンキーな音、
ジャンキーな声、
ジャンキーな環境。


テレビやSNSには、
ジャンキーな情報が溢れている。

ワイドショーや、故意に情報操作されたニュースたち。


喋るひとたちの声も、
ジャンキーな音にまみれている。


日常生活でも、雑音が多すぎる。


どれほどに、シンプルな自然音に耳を傾けているだろうか。


どのくらい、
まっすぐと己を生きる、
尊敬できるひとの声に触れているだろうか。


ジャンキーな環境での生活は、
自分のこころの機微も、埋もれさせてしまいます。

その結果、
自分がどう思っているのか分からない、
自分がどう感じているのか分からない、
やりたいこと、好きなことが分からない、となってしまう。


違和感を育てる声の不一致

さぁここで、
その違和感を育てる理由のひとつとして、声を視ていこう。

皆、自分の声を、生まれつきの声だと思っているけれど、そうではない。


本来の声を、そのまま心地よく奏でているひとは、ほんのわずかで。


多くの人が、
無駄な力の入った、
妙な出し方の癖を持っている。

それが人間らしい人間だ、とも思う。


とはいえ、
自分が出している声が、
本来の自分と一致していないひとは、実は多い。


このひとは、もっと低めの声のほうが合うのになぁ。。。
このひとは、ものすごく喉に力が入っているなぁ。。。
このひとは、身体が楽器になってない。。。


ひとによって、
本来の声とは全然違う声を出していることもある。

声は振動、身体は楽器

声は振動。

身体は振動で音を鳴らす楽器である。


心地よく身体ごと振動が起きていれば、
身体と心と声は、一致感を感じている。


逆に、
身体のどこかがずれていたり、
無駄な力が入っていたり、
口・喉だけで声を出していると、

身体、心、声は、心地よい振動を起こさない。


たとえば、
ブランコを想像してみてほしい。

ブランコは、普通に漕いでいると、
きれいに弧を描くように前後に揺れる。

だけど、
その揺れの最中に
片方にだけ力を加えたらどうなるか?

バランスを崩してしまうだろう。

心地よい揺れは一気に不安定になり、
グラグラと止まるしかないことになる。


こんな感じで、
ひとの身体でも、
不安定な揺れが起こっている。


これが、
軸がぶれ、
違和感をキャッチできない状態である。

声を出す=振動を起こす

声は人生を変える。
声は生き方を創る。

そう伝えている理由がここにある。


『声を出す』とは振動を起こすこと。


『心地よい声を出す』とは、
心と、身体と、声に一致感を感じさせるということ。


つまり、
ジャンキーな思考や、
ジャンキーな揺れをそれと認識し、

心地よい状態を知り、
心地よく響かせる方向に向かう、

これが、ヴォイスメソッドである。


そのために、
マインド、メンタル、ボディ、発声、表現、、、
さまざまなアプローチが必要となるのだ。

本物の声に触れること

私が今回伝えたかったのは、
作り声を作り声だとキャッチしてほしい、ということ。

そして、
本物の響きに触れてほしいということ。


それが、
人生の鍵となる違和感をキャッチする力を育ててくれる。



きれいではきはきとした、一見美しい声は、
本当に、美しいのか?ということ。

そこに違和感はないか?


ただ、いい声 、と受け取るのではなく、
そこに違和感がないか、
そこに心地よさがあるか、

一度、目を向けてほしい。


声を聴く『耳』を肥やしてほしいと、心から思う。


もちろん、
個人の趣味なので、とやかくは言わない。


ただ、
自分という人間を心地よく生きるため、
自分の中の違和感をキャッチする力を、
育ててほしいなと思うのである。


その鍵のひとつが、なのだ。


嘘のない声に触れてほしい。

うわべだけの声ではなく、
本物の響きに触れてほしい。


この世の中は、
ジャンキーな声、
うわべだけの声がとても多い。


でもその中でも、
やっぱり、いい声、というのは、
そのひとの人柄が溢れ、伝わるものだ。

そんなひとを探し、
そんなひとの声に触れてほしい。


どれがいい、というわけではない。


あなたにとっての選択は、あなたにしかできない。
本物に触れる機会が、多くあることを、願っています。


そして同時に、
一致感を感じながら生きられるよう、ともに、心地よい声を出して生きたいと思うのです。

あなたの振動が、
あなたらしく生きるものになりますように。


ともに、ココロオドル人生を。

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